親鸞聖人の言われる「他力」とは何か

親鸞会では、高森顕徹先生より親鸞聖人の教えを学んでいます。

「他力」という世間でも使われる仏教用語がありますが、多くは誤解されて用いられています。

「他力本願ではいけない、自力更生でなければならぬ」などという言葉の使い方に私たちは慣れ親しんでいますが、親鸞聖人の言われる「他力」とは、決してそのような意味ではありません。
本来、仏教で言う「他力」とはどんな意味かご存知でしょうか。親鸞聖人は「『他力』と言うは如来の本願力なり」(教行信証)と明示されています。如来とは、阿弥陀如来のことですから、阿弥陀如来の本願力のみを他力というのです。
阿弥陀如来とは、大宇宙のあらゆる仏の先生です。親鸞聖人は、「無明長夜の闇を破し、衆生の志願を満てたまう」力である、つまり、何のために生まれ、生きているのか、なぜ苦しくとも生きねばならないのか分からない。死に直面すると真っ暗な心です。生きている現在ただいま、この後生暗い心をぶち破り、明るい日本晴れの大安心にするお力こそ、弥陀の本願力(他力)なのです、とおっしゃっています。

もちろん、「衆生の志願を満てたまう」とは、食欲や睡眠欲などの私たちの欲を満たすという事ではなく、「永遠に変わらない幸福にしてみせる」という、弥陀の崇高な志願を、衆生の上に満たしてくださるということです。ですから、弥陀の本願力に救い摂られたならば、苦しみの人生が、歓喜あふれる人生になるです。
人間に生まれたのはこれ一つであったと、人生の目的が完成し、矢でも鉄砲でものファイトがわいて、たくましい人生が開けるのです。
他力に生かされた親鸞聖人のご生涯を知れば、明らかですね。

「他力」が弥陀の本願力のことを示すことはご理解いただけたと思いますが、時々自分の力以外をすべて他力と思い、太陽の働きや雨や風や空気、その他自然の働きもすべて他力と思われる方もおられますので、それは違うことを親鸞会では親鸞聖人のお言葉を提示して伝えています。
なぜなら、もし太陽や自然現象をすべて他力とするなら、干ばつや地震や台風で人命を脅かし、財産を失わせる時、それが他力、阿弥陀如来のお力とすることは、大慈大悲の阿弥陀如来に対する濡れ衣といわねばなりません。
もちろん、自然の力や人々の協力の恵みに感謝の気持ちを持つことは大切ですが、これを弥陀のお力と思ってはならないのです。

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