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若不生者の誓いと親鸞聖人の教え
火曜日, 7月 20th, 2010信受本願 前念命終
即得往生 後念即生 について話をしていました。
「本願を信受する」とは、本願とは、阿弥陀仏の本願、漢字36文字のことです。
信受とは、「本願まことだったー!」と、弥陀の本願に疑い晴れたことをいいます。
「まことなるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法」 と、教行信証に書かれて
いることと同じです。
「前念」とは、迷いの命、後生暗い心、自力の心、無明長夜の闇のこと。
どれも同じで、果てしない過去から、我々を迷わせ続けてきた苦悩の根元です。
「命終」とは、死ぬということ。
「即」とは、一念。
「往生を得る」とは、絶対の幸福に生かされて往く身になる。
「後念即生」とは、後生明るい心が一念で生まれる。
これでお分かりのように、一念で、後生暗い心が死んで、同時に、後生明るい
心が生まれる。弥陀の本願36文字を信受した一念で。
ゆえに、阿弥陀仏が必ず生まれさせる、と誓われているのは、私たちの
暗い心を大安心の明るい心に生まれさせる、と仰っているのです。
親鸞聖人の教えと一念について
金曜日, 5月 14th, 2010今日世界の光と仰がれる親鸞聖人。親鸞聖人の教えてゆかれたみ教えが、
全人類が救われるただ一つの教えだからです。
その親鸞聖人の教えは、「一念」の教え、「即」(すなわち)の教え、と言われます。
親鸞聖人の教えにおいて、「一念」「即」は、きわめて重要な意味を持ちます。
親鸞聖人の教えを、正確に、もっとも多くの人に伝えられた蓮如上人の書かれた
御文章には、「一念」が60数回も出てきます。また、「タノム一念のところ肝要なり」
とまで仰言っています。「肝要」とは、カナメの中のカナメ。これ以上、大事なもの
はありません。
親鸞聖人は、教行信証に、「一念とは、信楽開発の時尅の極促をあらわあす」
と書かれています。親鸞聖人の書かれた教行信証は、実に「一念」について、
書かれています。
親鸞聖人の一生涯教えてゆかれたことは、弥陀の誓願ただ一つでありました。
その弥陀の誓願について、親鸞聖人が解説されたお言葉が、愚禿鈔に出て
います。
信受本願 前念命終
即得往生 後念即生
次回は、このお言葉について、お話したいと思います。
親鸞聖人の教えと蓮如上人の教え
土曜日, 4月 17th, 2010親鸞聖人は、今から約800年前の方であり、
蓮如上人は、約500年前の方です。
浄土真宗親鸞会では、このお二方の教えられたことが、
正確に説かれています。
ところが、世間には、親鸞聖人の教えと、蓮如上人の教えられたことが
違うように思っている人たちがあります。なかには、蓮如上人を排斥し、
清沢某の書いたものを読んでいるものさえありますが、まったく教えを
知らないからこのようななさけないことになるのです。
親鸞聖人の教えと、蓮如上人の教えられたことは、まったく同じです。
蓮如上人は、常に親鸞聖人の本当の教えを説かれました。
浄土真宗では、朝晩の勤行で、親鸞聖人の正信偈、蓮如上人の
御文章を拝読しますが、お二方の教えが異なっていれば大変なこと
になります。親鸞聖人は左へ行け、蓮如上人は右へ行け、と言われる。
どっちにいけばよいの?ということになってしまいます。
親鸞聖人、蓮如上人の教えは、まったく同じです。
親鸞聖人の書かれた教行信証を、どんな人にもわかるようにと、
かかれたものが御文章です。 その御文章の中でも、親鸞聖人の教え
をすべて、短い文章の中におさめられているのが、聖人一流章です。
聖人一流章がわかれば、親鸞聖人の教えはすべてわかります。
聖人一流章について、親鸞会で、聞かせて頂きましょう。
親鸞会では、世界最大の二千畳で、毎月聞法のご縁があります。
親鸞聖人の教えと親鸞会
火曜日, 3月 23rd, 2010正統な親鸞聖人の教えとは、なんでしょうか?
親鸞聖人の教えのすべては、教行信証六巻に書かれています。
ですから、教行信証に教えられている通り、教えられていれば、
それこそが親鸞聖人の正しい教えです。
では、教行信証には、何が教えられているのでしょうか。
三重廃立 これで100点満点です。
三重廃立とは、内外廃立、聖浄廃立、真仮廃立です。
この三つを徹底して教え、三願転入を正確に説かれているかどうか、
これが基準となります。
浄土真宗親鸞会では、この親鸞・覚如・蓮如上人を一貫する
三重廃立の教えを鮮明に説かれています。
今日では、浄土真宗という看板を出しながら、中身はまるで聖人の
教えに反するものばかりで、葬式仏教、法事仏教となり、衰退の
一途をたどっております。大衆からは見放され、馬鹿にされ、
寺に用事があるのは葬式か法事か。 その葬式や法事も、寺に
依頼するのは馬鹿らしい、という人も増えています。
本当の親鸞聖人の教えが聞きたい方は、親鸞会での聞法を
お勧めします。
親鸞聖人と難度海を度する大船
水曜日, 3月 10th, 2010私たちの人生を、親鸞聖人は“難度海”と言われています。
見渡す限り水平線しか見えない、しかも、苦しみ悩みの波が
つぎつぎとやってくる。
苦しいものですから、近くに浮いている丸太や板切れにすがり
ます。ところが、丸太ですから、くりーっと回って、ふたたび海に
放り出される。「さっきの丸太は小さかった。あの大きな丸太なら
きっとだいじょうぶだろう」 と、新たな丸太をめがけて泳ぐ。
この丸太や板切れは、
健康、家族、お金、財産、地位、名誉、仕事、生きがい、
など、私たちが信じてたよりにしているものすべてです。
せっかくこれらのものを手に入れても、そこには本当の安心も
満足もありません。やがて、必ず裏切られてしまいます。
たとえ、30年50年続いたものがあったとしても、最後、死ぬ
ときには、みな夢まぼろしです。
親鸞聖人の教えを正確に伝えられた蓮如上人は、
「まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も
我が身には一つも相添うことあるべからず。されば死出の
山路の末、三塗の大河をばただ一人こそゆきなんずれ」
(御文章)
とおっしゃっています。
親鸞会で聞かせて頂いている親鸞聖人の本当の教えを
書いています。親鸞会で本当の仏教を聞くことができ、
本当に幸せです。
親鸞聖人と人生の目的
木曜日, 2月 11th, 2010親鸞聖人ほど、人生の目的をハッキリと教えていかれた方はないでしょう。
主著である教行信証の冒頭にも、
「難思の弘誓は、難度海を度する大船」
と、生きる目的を明示なされています。
まず、「難度海」 とは、なんでしょうか。
これは、私たちの人生のことです。「難度」とは、苦しい、ということ。
苦しみ、悩みの波が、次から次へとやってくる海のようなものが人生なので、
親鸞聖人は「難度海」と、私たちの人生を仰言っています。
生まれた時が、この難度海に放り込まれたようなもの。
見渡す限り、水と空しかみえない。
さて、どこに向かって泳ぎますか? (AとBの会話)
A「周り中、水と空しか見えない海に放り出されたら、どうしますか?」 B「泳ぐしかない」 A「じゃあ、どこへ向かってですか?」 B「そんなこと知らん。泳げるだけ泳ぐだけじゃ」 A「それじゃ、土左衛門になって死ぬだけですよ。 土左衛門になるために泳いでいる、ということになりますよ」 B「 ………(無言) 」 A「だから、泳ぐ目的地がまず大事なんです。 島や陸地の方角を知らずに泳いでいたら土左衛門になるだけです。 あそこに島がある、とハッキリしていてこそ、頑張って泳ぐ ことができます。 あの島まで泳ごう、と目的地に泳ぎ着いてはじめて、ここまで 泳いできてよかったと、一生懸命泳いできた満足があるんです」 みな、「どう生きるか」という生きる手段しか知らず、 肝心要の「なぜ生きる」の大事を知らない。 目的地知らずに泳いでいる人生。だから、難度海になるのは必然なのです。 正しい親鸞聖人の教えは、親鸞会でしか聞くことができません。 親鸞会で、親鸞聖人のほんとの教えを聞き、人生の目的を聞きましょう。
平生業成と親鸞聖人
土曜日, 1月 9th, 2010「平生業成」 という、親鸞聖人の教えの一枚看板について、話をしていました。
「平生」とは、現在ただ今。
「業」とは、人生の大事業、人生の目的、ということ。
「成」とは、完成。
ですから、「平生業成」とは、「人生には、これ一つ果たさねばならないという、
大事な目的がある、それは現在ただ今、完成できる。だから早く完成させなさい」
ということです。
これ一つ90年の生涯、教え続けられた方が親鸞聖人ですから、
親鸞聖人といえば、平生業成、
平生業成といえば、親鸞聖人、となったのです。
もし、親鸞聖人がお生まれにならなかったら、無かった言葉です。
では、親鸞聖人が、人生の大事業、人生の目的と仰言ったのは、どんな
ことでしょうか。世間一般で、大事業といわれるものとは、だいぶ異なります。
松下幸之助や徳川家康がやったようなことは、人生の大事業ではありません。
なぜなら、そのようなことをやっても、安心も満足もなければ、人間に生まれて
よかったという生命の歓喜はありません。また、臨終には夢幻と消えていきます。
親鸞聖人は、教行信証の最初に、
「難思の弘誓は難度海を度する大船」 とハッキリ仰言っています。
難度海を度する大船に乗ることが人生の目的なのです。
では、これは一体、どのような意味なのでしょうか。
もっと知りたい方は、親鸞会.NET や 親鸞会ブログポータルも参照して
みてください。
親鸞聖人の教え 弥陀の本願
月曜日, 11月 9th, 2009親鸞聖人が90年間教えられたことは、弥陀の本願以外にはありませんでした。
なぜなら、仏教を説かれたお釈迦様が、阿弥陀仏の本願以外には教えられなかったからです。
「さらに親鸞、珍しき法をひろめず、釈迦如来の教法を我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」
と常に仰言っていた親鸞聖人ですから、当然、弥陀の本願以外には教えておられないのです。
親鸞聖人の主著、教行信証の書き出しも、「難思の弘誓は難度海を度する大船」とあるように、
難思の弘誓(弥陀の本願のこと)はこうだよ、と書かれています。
あの有名な歎異抄の最初も、「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をばとぐるなり」
と、弥陀の誓願(阿弥陀仏の本願のこと) からはじまっております。
では、阿弥陀仏の本願とは、一体何なのか。
大宇宙に無数にまします諸仏の王である阿弥陀仏が、実に尊い、素晴らしいお約束をされて
います。 本願とは誓願ともいい、約束のことです。
「どんな人をも、必ず一念で、絶対の幸福に助ける」
という本願を立てておられます。
まず、約束の相手は、「すべての人」です。 男女、老少、人種、才能の有る無し、一切関係
ありません。阿弥陀仏のお約束の相手に入っていない人はありません。
こんな約束をしておられる仏はほかに一仏もありません。
親鸞聖人は、弥陀の本願のことを、超世の悲願、無上殊勝の願、といわれる所以の一つが
ここにあります。
蓮如上人を知ろう
木曜日, 3月 12th, 2009今回は、浄土真宗で有名な蓮如上人について学んでみましょう。
親鸞聖人の教えを学ぼうとするとき、重要になる蓮如上人についてご紹介していきたいと思います。
蓮如上人は、約500年前、室町時代に活躍なされた方です。
蓮如上人は一体どんな人物か、もしひとことで言い表すとしたら
『浄土真宗の中興の祖』と言われています。
蓮如上人のことをよく知らない、という人でも、名文「白骨の御文章」は浄土真宗の葬式・法事などで必ず拝読されているので、聞いたことがあるという人も多いのではないでしょうか。
この中では、「後生の一大事」が教えられていて、人生の目的は、後生の一大事を知り、解決することだ、ということが述べられています。
蓮如上人は、教義を手紙という解りやすいスタイルで書かれたことが有名です。蓮如上人によって書かれたその手紙の多くは「御文章」に収められています。
御文章には、親鸞聖人の教えが、平仮名まじりのわかりやすい文章で書かれてあります。
御文章は、もともとは、蓮如上人がご門徒にあてたお手紙であったのですが、それを蓮如上人のお亡くなりになった後、お孫さんの円如法師が全国を歩き回って集め、5帖80通の「御文章」として編纂されたと言われます。1帖目から4帖目は年代順、5帖目は、いつ書かれたかわからないものをまとめられてあります。
お手紙の形でありましたから、これが書き写され、各所で読まれ、親鸞聖人の教えが伝えられていったのです。
近江商人である堅田門徒が東北、北陸から山陰地方に至るまで、幅広い行商に回りながら、「御文章」を読み聞かせたとされています。
今日、親鸞聖人の教えを私たちが聞かせていただけるのも、蓮如上人のご活躍があったからなのですね。
親鸞聖人とはどういった人か
土曜日, 10月 11th, 2008あなたは、「親鸞聖人」という人物をご存知でしょうか。
歴史の教科書にあった、親鸞聖人のことですね。
西暦1173年に親鸞 聖人は京都でお生まれになりました。
親鸞 聖人は、鎌倉時代初期の方で、浄土真宗の宗祖とされています。
親鸞聖人のことを学べば学ぶほど、親鸞聖人がいかに偉大な方であったかということがわかります。
これからも、もっと親鸞聖人について知りたい、という思いで、
このサイトを作ってみることにしました。
親鸞聖人ほど、日本史の中で多方面から注目を浴びている人はありません。日本のみならず、海外の著名な文学者、哲学者も親鸞聖人を称讃しています。
「親鸞は、今や世界の親鸞として、その姿を大きくしている。
人類が今日ほど、親鸞 を必要としている秋はない」 (井上 靖)
「親鸞のようなひとにめぐり会えたことは、一介の文学者としても、人間としても、生涯のよろこびである」 (丹羽文雄)
「トルストイの如きは、日本の法然や、親鸞の宗教を知ったら、誰よりも先きに随喜する人ではなかったかと思うのだ」 (倉田百三)
「私は何ということなく、親鸞が好きだ。蓮如が好きだ。すき、嫌いでいうのはへんだけれど、正直な表現でいえば、そうなる」 (吉川英治)
このように、親鸞聖人を讃える声が本当に多いのです。
なぜ、それ程、親鸞聖人に熱い視線が注がれているのでしょうか。
それは、親鸞聖人が、全ての人にとって最も大切な、『人生の目的』を、明らかに教えられているからでしょう。
あなたも親鸞聖人のことを学んでみませんか。