親鸞聖人のご生涯を知りたければ、「アニメーション映画 世界の光 親鸞聖人」

を見れば、分かります。全部で6巻からなり、親鸞聖人の歩まれた道、伝えられた

教えがわかります。

親鸞聖人の教えを聞くときに、まずこのアニメを勧めたいと思います。

親鸞会の行事は、各地の会館で行なわれています。

アニメを通しての勉強会もありますので、ぜひご参加ください。

釈迦の説かれた一切経を幾たびも読み破られた親鸞聖人は、

釈迦が一生涯教えられたことは、阿弥陀仏の本願、ただ一つであった、

と断言されています。

「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」 (正信偈)

すべての人は、毎日毎日、苦しんで生きています。

それは、なぜか。後生の一大事という大問題を持っているからです。

後生とは、一息切れれば後生です。死、ということ。

全人類の確実な未来です。 その後生がどうなっているのか、未来が

真っ暗がりなのです。これほどの不安はありません。

その後生の一大事の解決ができる方は、大宇宙広しといえども、

阿弥陀如来しかおられないと、お釈迦様は繰り返し教えられています。

そして、仏教の結論として、

「一向専念 無量寿仏」 と説かれています。

無量寿仏とは、阿弥陀仏のことです。

阿弥陀仏一仏に向かえ、阿弥陀仏だけを信じよ、これよりお前たちの

後生の一大事、助かる道はないのだよ、との仰せです。

親鸞会では、一向専念無量寿仏を徹底して叫ばれた親鸞聖人の

み教えが、正確に説かれています。

親鸞会の行事案内は、ホームページをご覧ください。

假令身止 諸苦毒中

我行精進 忍終不悔 (大無量寿経)

たとい身は、諸々の苦毒のうちに止るとも、我が行は精進にして、

忍びて終に悔いじ。

親鸞聖人は、90年の生涯、お釈迦様の説かれた仏教以外には
教えられませんでした。

仏教とは、仏の説かれた教え、ということで、この仏とはお釈迦様
のことです。今日では、仏と言いますと、死んだ人のことだとみな
思っていますが、大変な間違いです。

仏とは、さとりの最高の位の名前であり、その覚りを開いた人を
仏とか仏様、というのです。この地球上では、お釈迦様以外には
仏のさとりをひらかれた方はありませんから、釈迦の前に仏なし、
釈迦の後に仏無し、と言われます。

そのお釈迦様が80年、教えていかれたことは、お弟子がすべて
書き残され、七千余巻の一切経と言われます。

では、一切経には、何が教えられているのでしょうか。
一切経を幾たびも読み破られた親鸞聖人は、次のように断言
しておられます。(次回に続けます)

親鸞聖人の教えは、親鸞会で聞くことができます。
親鸞会の法話案内は、ホームページをご覧ください。

今日、親鸞聖人は、世界の光と言われています。

その親鸞聖人の教えのすべてが書かれているのが教行信証です。

教行信証の最初に、次のお言葉があります。

謹んで浄土真宗を按ずるに、二種の廻向あり。

一つには往相、二つには還相なり。

「浄土真宗」と聞くと、多くの人は、「親鸞聖人がつくられた教え」

「数ある仏教の宗派の中の一つ」 くらいに思っている人がほとんど

ですが、それは間違いです。

親鸞聖人は、ご自身が浄土真宗を開いた、などとは夢にも思って

おられないことです。 親鸞さらに私なし、ご自身の考え、思いなど

一切語られなかった方が親鸞聖人です。ひたすら釈迦の教え、

弥陀の本願しか、とかれていないのです。

ゆえに、「浄土真宗」=真実の仏教=阿弥陀如来の本願のことです。

謹んで、阿弥陀如来の本願を、あきらかに致しましょう、と仰言り、

次に二種の廻向、と書かれています。これはどんな意味でしょうか。

親鸞会の親鸞聖人の750回忌法要で聞かせて頂いた内容です。

親鸞会の行事案内は、ホームページをご覧下さい。

私たちは、朝から晩まで、「どう生きる」 しか、考えていない。

世界中の本は、みな、「どう生きる」 のことしか、書かれていない。

しかし、たとえ、どんな生き方をしたにしろ、

200年も300年も生きる人はいない。

何百万冊の本に書かれていることを実行して、よりよい生き方を

しても、いつまでも間に合うことが書かれているのではない。

やがて、すべての本が、間に合わないときが来る。

この地上を去らねばならないとき。

遠い先の話だろうか。

悠久の宇宙の生命からいうと、私が生まれて、生きて、死んでいく、

その一生は、瞬間的だ。 その瞬間的なことばかりしか、

世間中の本には、書かれていない。

親鸞聖人は、「なぜ生きる」 を明らかにされた。

全人類にとって、もっとも大事なことを教えられたので、

世界の光と言われて当然だ。

親鸞会では、親鸞聖人の教えを正確に説かれています。

「なぜ生きる」 を親鸞会で聞き、そして達成しましょう。

34歳のときに、三大諍論をなされ、友だちの弥陀の本願の聞き誤りを

正されました。法友といえども、親鸞聖人は、その誤りを打ち破られた

のでありました。

35歳のときには、仏教の結論である、「一向専念 無量寿仏」を、

あまりにも強く叫ばれたために、権力者の怒りに触れ、新潟県へ流刑

にあっておられます。最初は死刑だったのですが、関白九条兼実公

のはからいで、越後流刑となったのです。

親鸞聖人の生き様に感動する人はあっても、その親鸞聖人の教えを

知る人は、雨夜の星です。親鸞会で、本当の親鸞聖人の教えを聞か

せて頂きましょう。 親鸞会の日程は、ホームページを見てください。

29歳で弥陀に救い摂られてから、90歳で亡くなるまでの、

親鸞聖人のご生涯は、まさに波乱万丈でありました。

31歳のときには、僧侶には固く禁じられていた肉食妻帯を

断行されました。

そのために、戒律をやぶった坊主じゃ、堕落坊主、と、

死ぬまで非難攻撃を受けられました。

34歳では、友だちの、弥陀の本願の聞き誤りを正さんが

ために、大きな争いを3回もされています。

今日、親鸞聖人の三大諍論といわれます。

親鸞会の二千畳の会館で行われた降誕会では、このような

親鸞聖人のたくましいご一生を貫いている心、親鸞聖人を

このように動かしめた心とは、一体どんな心だったのか、

聞かせて頂きました。 親鸞会の行事日程などは、

ホームページをご覧下さい。

比叡山での二十年の修行を捨てられ、泣き泣き山をおりられた親鸞聖人は、

どこかに、この暗い後生の解決を教えてくださるお方はないのかと、京都の

町を夢遊病者のようにさまよい歩かれました。

ちょうど、四条の大橋で、かつての比叡山でのお友だち、聖覚法印様と、

ばったり出会われたのです。 そして、その聖覚法印様のお導きによって、

親鸞聖人は、吉水の法然上人から、真実の仏教、阿弥陀如来の本願を

聞かれるようになったのです。

そして、29歳の御時、阿弥陀如来の本願によって、後生明るい心に救い

とられました。このように弥陀に救いとられたことを、信心決定といいます。

信心決定された親鸞聖人は、こんな極悪の親鸞を助けてくだされた、

阿弥陀如来の大恩は、身を粉にしても骨を砕いても足りないと、90歳で

お亡くなりになるまで、弥陀の本願ただ一つ、叫び続けてゆかれました。

そのご一生は、波乱万丈のはげしいものでした。

親鸞聖人の本当の教えは、親鸞会でしか、今日は聞くことができません。

親鸞会で、正しい親鸞聖人の教えを、学びましょう。

今日、世界の光といわれている親鸞聖人とは、どんな方だったのでしょうか。

親鸞聖人は、今から約800年前に、京都にお生まれになっておられます。

お父様は藤原有範、お母様は吉光御前といわれました。

ところが、四つのときにお父さんが、八つのときにはお母さんが亡くなりました。

「次に死ぬのはおれの番だ。死んだらどうなるのだろうか」

真剣に考えこまれた親鸞聖人は、真っ暗な我が身の後生に驚かれました。

なんとか、後生暗い魂の解決がしたい、と、9歳で出家されて20年間、

比叡の山で法華経の修行に打ち込まれました。

大曼の難行までやり遂げられましたが、どうにも暗い後生の解決ができず、

なきなき山を下りられたのは、親鸞聖人29歳の春でした。

「どこかに、この暗い後生の解決を教えてくださるお方はないのか」と、

京都の町を夢遊病者のようにさまよい歩かれるのでした。

親鸞聖人の教えが、親鸞会でとかれています。

親鸞会の会館は、富山県にあります。

信受本願 前念命終
即得往生 後念即生 について話をしていました。

「本願を信受する」とは、本願とは、阿弥陀仏の本願、漢字36文字のことです。
信受とは、「本願まことだったー!」と、弥陀の本願に疑い晴れたことをいいます。
「まことなるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法」 と、教行信証に書かれて
いることと同じです。

「前念」とは、迷いの命、後生暗い心、自力の心、無明長夜の闇のこと。
どれも同じで、果てしない過去から、我々を迷わせ続けてきた苦悩の根元です。
「命終」とは、死ぬということ。

「即」とは、一念。

「往生を得る」とは、絶対の幸福に生かされて往く身になる。

「後念即生」とは、後生明るい心が一念で生まれる。

これでお分かりのように、一念で、後生暗い心が死んで、同時に、後生明るい
心が生まれる。弥陀の本願36文字を信受した一念で。

ゆえに、阿弥陀仏が必ず生まれさせる、と誓われているのは、私たちの
暗い心を大安心の明るい心に生まれさせる、と仰っているのです。

親鸞会で、弥陀の本願を聞かせて頂きましょう。
親鸞会の二千畳に参詣しましょう。